2022.2.10 正木ブログ
Madeline Tylicki調教師の躍進等
日本中央競馬会では厩舎は基本的に内厩制をとっており、また、調教師ごとに在厩させられる頭数に上限があることから、年間1勝もできない調教師というのは非常に稀です。
他方、アイルランドは外厩制をとっており、また厩舎ごとに管理数の上限がないため、その裏返しとして調教師によっては管理頭数は1頭であったりすることもあり、それゆえ勝てない調教師はまったく勝つことができません。
そういう、厳しい競争下にある中で、Madeline Tylicki調教師が、Freddyの事故からまだ間もない2016年11月20日、Punchestown競馬場の第6レース、First To Boogie号で初勝利を挙げました。
痛ましい事故の直後だけあって、この勝利は大きく報じられ、イギリスのRacing Post紙の1面を飾りました。今もネット上にRacing Postの記事が残っております。
その後も、Port Lions(その後バーレーンに転厩し、Mohamed Yousuf Naghi Motors Cupで日本のディアドラに勝利)を管理するなど、調教師としても堅実に実績をあげておられました。
私自身は、2016年10月にPunchestown競馬場を訪れた際にMadelineさんと競馬場で再会しました(この時点ではもちろんFreddyの事故はおきていません)。
またお目にかかるのを楽しみにしておりましたが、コロナ禍で身動きが取れない2020年8月2日、Madelineさんは調教師からの転身を発表されました。所属馬はAndrew Kinironsさんが引き継がれることになりました。AndrewさんはそれまでもMadelineさんと一緒に行動されておられた方です(初めてお会いした日にも一緒におられました。下の写真で馬を引いているのがMadelineさん、騎乗しておられるのがAndrewさんです)。
あらためて、アイルランドで調教師を続けることの難しさを感じるとともに、これからのMadelineさんのご活躍をお祈りするばかりです。